特に彩雲堂の水干絵具は、学生の時からのお気に入りです。
以前は水干絵具で、ほとんど最後まで描いていた頃もありました。ここの絵具は指で練りやすく、もちろん色にもよりますが、膠が浸透しやすい。きれいに溶きおろせるところが好きです。発色もきれい。
筆では景雲堂の圓山の大。手に伝わる穂先の感覚がほどよく、塗るにも、溜め塗りをするにも、線を引くにも心地よく描けます。これも学生の頃からよく使用しています。
道具では、キッチン用品のゴムベラが、胡粉や水干絵具をお皿に取ったり、くまなく混ぜたりするとき無駄なく使え、重宝しています。
今回の作品は、前回と同じく自分の中に蓄積されている記憶の引き出しのようなものです。
コンセプトとしては、前回の作品は少し琳派的な要素を意識して(私なりの解釈ですが)、画面構成的部分を前面に出しましたが、今回は敢えていうならば宗達的なものでしょうか。
筆跡の感覚に焦点を当てました。今もまだ描いてますが。
2月末に福岡の西南学院大学学術研究所が企画している、20世紀美術研究会に初めて参加しました。「日本画の転位」(北澤憲昭 著)をテーマに、九州大学名方陽子さんによる読解でしたが、内容がとても興味深かったです。日本画という言葉のイメージが見る側に対して如何に枠組みを作っているかを改めて感じさせられました。
(もちろん私の中では日本画=日本国民の絵画という意識は全くないので、意外でしたが。)
しかし転位となる新しい価値観は過去もそうであったように、必ず発生し既存が変化していくものと思います。なぜなら変化無くして創造活動はあり得ないと思うので、これから先、日本画の転位は必要なことなのではないかと思います。
尖というグループは、作品に対しそれぞれが自己世界観を持っていることで成り立っていると思います。いわば日本画に対してのそれそれの考え方をリアルに体現化させたグループ展であると言えるのではないでしょうか。

自分にとっての「尖」とは
実験の場でもあり刺激を受ける場でもあり、現代の日本画自体の意味を考えていた頃、色々な方向性を感じさせてくれたグループです。
この「尖」という場所は現代アートとしても成り立つ場と考えています。
今後の目指すものは可能性の追求でしょうか。
描くという行為は自分の心の空間を掘り下げていく作業と捉えているので、自身の変化とともに絵がどういう変化をしていくのか見守っていきたいです。
自分の身近にあるもの、日々の暮らしの中で生まれてきた感情や景色、心の現象が自分のテーマとしてあります。
今居るところから1秒たてば、それはもう過去となります。そんな一瞬一瞬の過去を描いています。
熊本県出身
京都嵯峨美術短期大学日本画科卒業後、日本画専攻科終了
グループ芽生展 (京都府ギャラリー、京都府立芸術会館/京都)
日本画4人展 (ギャラリー射手座/京都)
個展・2人展
(ハイドン/京都、
アートギャラリー珈琲珀、ギャラリーおいし、アートスペース檬/福岡
スペースレインボー/熊本)
グループ尖展 (京都市美術館別館/京都)